わからないけど、とりあえず感情を吐き出してみようと思う。
ずっと「普通」にあこがれてきた。
私の場合は「普通」に憧れすぎたのかもしれない。
人間としての「普通」。
男?としての「普通」。
女としての「普通」。
子供としての「普通」。
家族の一人としての「普通」。
生きていくうえでの「普通」。
自分が「普通」じゃないような気がしていた。
そんな曖昧じゃない。
確信していた。
だから、憧れていたのかもしれない。
ここは診断あるけど、これだけじゃないように思う。
これだけのものを抱えていて、「普通」といえるのだろうか。
正直、わからない。
自分の感情を並べてみても「普通」ってなんやねんって気持ちの方が強いです。
まじで「普通」ってなに??w
でもなんとなくその「普通」は、少なくとも私には、到底当てはまらないというなんとなくの確信がある。
女として生まれていたら、それか発達障害を持っていなかったら、この2つのどちらかがなければ、もっと生きやすかったのかな、、
そんな気もする。
自分のこと、発達障害のこと、性別のこと、家族のこと、仕事のこと、お金等日常生活のこと、そして、未来のこと。
そんなこんなで、24歳までずっと悩み続けてたら、鬱になりました。
そりゃそうとしか言えないのがもはや可笑しい、、。
家族のことに悩んでたから、親にも相談しづらかったし、精神的にちゃんと頼れなかった。(表面上は頼れてた。たぶん。こういうのは家族の在り方として当たり前だと思ってるので。)
性別のことに悩んでたから、気軽になにかを楽しめなかったし、いつもこの問題が付きまとってた。旅行にも、テーマパークとかにも、トイレ・風呂問題たちが付きまとってた。身体が嫌いすぎて、日常生活送るだけでストレスだった、
発達障害を持ってたから、自分をうまく表現できなかった。感情や発言をうまくコントロールできないし、仕事でも躓きやすい。
ほんとなんやねん。
まじ勘弁。
自分で言うのは、あれかもしれないけど
でも、
私は傷つきすぎたのかもなぁ、って時々思う。
知らない間に自分でも、自分をきっと傷つけていた。たぶん、ものすごくたくさん。
発達障害を持ってることが、女でないことが、すごく憎かった。だからその2つの悩みがない人がすごい羨ましかった。
嫉妬にまみれていた。
理性では抑えてただけなんだろうけど、殺したくなるくらい憎く感じる時があった。
自分のプラスな部分を相殺するくらい、マイナスがあまりにも大きすぎた。
発達障害、性同一性障害とか、全部を受容するのはすごい難しい。
今の私は本当に受容できているのか、正直わからない。
今でも生きるのがすごいつらく感じるし、たぶんこれからもたくさんそう感じるだろうけど、
生きるのを諦めたくないって気持ちは大きい。
でも現実がきつい。
立ち向かえる元気がもう湧いてこないくらいつらい。
死ねるなら死んじゃいたいって思ってしまうくらいにはやっぱりつらい。
いつか生きててよかったと思える日が来るのだろうか、
いつの日か、幸せだと思える日は来るのだろうか、
その賭けのためだけに、その賭けだけを目標に生きるしかないのかもしれない。
お金さえあれば幸せになれるわけじゃなくて、心がもうすでに穴あきコップみたいなものだからな、、、
この身体が憎い。
憎い。
憎すぎる!!!!!
うざい。
今の私を肯定してくれて、受け入れてくれる存在、という名の恋人がほしいですね、、()
死にたいくらいしんどくても生きなきゃいけないのつらい!!!泣