こんにちは、Kotohaです。
こういうドキュメンタリー映画は初めて見ました。
乃木坂46のことは今まではずっと名前と代表曲くらいしか知らなかった。
その程度の認識でした。
今年の9月に初めてちゃんと知って、ちゃんとハマって、
イコノイジョイから流れてきた身ではあるけど、3次元のリアルアイドルもやっぱりいいなぁって思いました。
(イコノイジョイ前はアイマスやラブライブの沼にいたので...w)
ってことで、私の激重感情とともに感想を書いていきたいと思います。
こういう形で、アイドルを間近にリアルを感じて思うのは、「やっぱり今までも今も、ずっと憧れだったんだな」って。
だって、ずっとアイドルになりたかったし。
ちゃんと自覚したのは大学生のころだけど、たぶん小さいころから無意識に思ってたし。
(ここら辺なんどか書いた気がするけど、感情の整理と流れで書きたいので書く)
アイドルになりたい
アイドルになりたい
なりたい
なりたい
なりたい
...、なりたかった。
なりたくてもオーディションを受ける資格すらずっと得られずに生きていた、
その事実がずっと、ずっと、
ずーーーーーっと。
苦しかった。
正直今も苦しんでる部分はある。
その事実が呪縛となっていた。
アイドルではない未来に踏み出す一歩を、普通の数倍の恐怖に押し上げていた。
アイドルがきらきらしたものだけじゃないのは百も承知。
だって、見てりゃわかる。うん。
たくさんの女の子がアイドルとして生きてもがいて葛藤しているのをファンという目線で見てても、アイドルという職業がいかに大変なものであるかわかる。
「悲しみの忘れ方」を見たことで、ドキュメンタリーという形でちゃんと見たことで、今まで以上に「アイドル」というものを勉強できた。
(結局イコノイジョイのデビュードキュメンタリーは見れてないので...。なんでかというと精神がしんどくなる気がしてたから!笑)
悲しみの忘れ方は、
このときこんなこと感じてたんだ。
こういう思いでステージに立ってたんだ。
こういう思いで、ファンとメンバーと、そして自分と向き合い続けてたんだ。
そう思いながら見てました。
そして、もし自分がその場にメンバーとしていたら、どう感じてたんだろうって考えてました。
もし自分がオーディションが受けられる世界線にちゃんといて、もしかしたら受かってそうなる未来があったとしたら感じてたはずの感情。
こんなにたくさんの現実を知ってても、それでもなりたかった。
寿命が削られてもいいから、アイドルとしてあのステージ立ちたかった。
立って明るく誰かを照らして、誰かの偶像でありたかった。
我ながらくっそ重いな...笑
今その苦しみは少しずつ緩和されてきていると思う。
たぶん少しずつ、少しずつ、自分の境遇を受け入れられ始めているからこそ、緩和されてきている。
なりたいけど、なれない。
他の女の子たちとは違う重さの苦しみ。
でもこの苦しみがあったからこそ、今、私が成長できているのかもしれない。
生駒ちゃん、なあちゃん、まいやん、生ちゃん、ななみん、未央奈ちゃん、まなったん、まいまい、玲香ちゃん、ひめたん、ろってぃ、若さま、みさみさ、ゆったん、愛未、ひなちまやまあや
上げたらキリないけど、乃木坂46のアイドル全員尊敬してる。
(乃木坂46だけじゃくて、AKBや櫻坂、日向坂、イコノイジョイとか、もっとたくさんのアイドルたちも尊敬してるけど~♪)
彼女たちが乃木坂46を作り上げてくれたことがうれしい。
歴史を知りながら、こうやってドキュメンタリーを見れてうれしい。
知れたからこそ、羨ましいや悔しいって感情が芽生えてるけど、
でもやっぱり乃木坂46の足跡はなんかすごいいいなって思う。
「迷ってるのは私だけじゃないだ そばにいつだって誰かいる いいことひとつ 今日の中に見つけて 悲しみをひとつ 忘れようとして来た」
悲しみの忘れ方のサビの歌詞。
この映画を見たときに、このタイミングで初めて聞いたけど、今の私にはすごいぐさりささりました。
近くの友達だって悩んでる。それは当たり前なんだけど、不意に忘れてしまう事実。
不思議です。
でもたぶん私が忘れがちになるのは、基本的にうちが相談する側のことが多いからなのではという結論に達した。たぶんそう笑(おい)
アイドルになれる最低年齢すらも過ぎた今。
今でもアイドルになりたいかと聞かれたら、私は、絶対この返答以外はしないだろう、と思う。
アイドルに!!
なりたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああい!!!!!!
そしてその気持ちと同じくらいアイドルが大好きです。
余談:
最後に、私の背中をどんな形であれ、支えてくれた友達や、身近な人たちに盛大な感謝を届けたい。
今の私があるのはみんなのおかげなので...!
余談2:上みたいなアイドルに対しての激重感情があるから、余計ぼろぼろに泣きました。